| 苦しいときの「紙」頼み |
|
神頼み、ではない、紙頼み、である。デニム生地織布メーカーの雄、カイハラ(広島県)の相談役、貝原定治さんの本の題名である。
20年ぶりに本社を訪ねて貝原定治さんにお会いすることができ、その際に続編の本もいただいてきた。 貝原さんが若い時から折に触れ人から聞いた言葉、本から知った言葉などをノートにとり続け、さらにそれを整理し、いざ何か問題にぶつかったときにそのノートを読み返して解決策を得た・・・まさに苦しいときに「紙」に頼った、というところから採った題名である。「神」に頼ったのではない、自助、だったのである。 戦後、日本の紡績産業が頂点から没落の路を歩んだのを尻目に、豊田織機から300数十台の織機を買い続けて東洋最大規模の企業(かのマイケル・ポーター賞も受賞)を育て上げた定治さんは、努力し続けた方であるということがこのエピソードからもわかる。イノベーションの方法、なんてものは本1冊読めばわかるがごとき本は多いが、実際は何十年の苦闘の連続なのである。 貝原定治さんに見知っていただいたのは、従って20年前の、まだ中小企業調査屋としては駆け出しのころで、かつ傲慢であった(今でもそうであるが)。ある講演会で、官僚を木っ端役人呼ばわりしたところ、「ざっくばらんな先生で面白い」と言われて翌日、会社に引っ張って行かれた。しかし行った先は会社ではなく、料亭で、昼間っから酒を飲んで数時間、会社経営のあれこれの知恵を教えてもらった。ちなみに「ざっくばらん」とは江戸時代に髪が乱れてばらばらになった状態を言ったのが語源らしい。そのとおり、私の髪は当時から今まで乱れに乱れている(髪の乗っている頭の中も)。 以来、私の「メモ魔」の癖は倍加した。私の場合は「紙頼み」ではなく「パソコン頼み」となってはいるが。 カイハラの一角には、カイハラの前進の事業でもあり、かつてそのの土地に栄えたものでもある備後絣の記念館がある。過去はいろいろなことを教えてくれる。過去を忘れないようにしようとする人の努力がある限り。 20年ぶりであったので、まさか覚えていてくださるとは思わなかった。が、ありがたい人がいるものである。こういう人がいる限り、日本の産業も不死鳥であり続けるだろう。苦しいときには、本当は「人頼み」である。 |
|
| 最終更新日 ( 2010/06/08 Tuesday 23:53:23 JST ) |