| 告発常習人の時代 |
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ギリシャの民主主義を破壊したのは、他ならぬその民衆で、それをけしかけたのが告発常習者たちである、とプルタルコスが看破している。
現代で言えば、スピンサーと「視聴率」以外の誰からも信任を受けていないのに国民の代表づらをするジャーナリストなどがその告発常習者に当たるであろう。 たしかに指導者となるべき地位にいる連中もひどい。しかし世に完璧なリーダーは、政治であれ経営であれ、いるわけはない。完璧を基準にリーダーの悪口を言い続ける者が世を支配すれば、誰もリーダーにとどまれはしない。それほど偉そうなことを言うなら、テレビの社会評論ショーで世を罵る評論家こそ、まず立候補してみるべきではないか。 ギリシャの民主主義制度の代表とされる陶片追放だが、あれで追放されたのは、当初は社会に貢献した名士ばかりである。追放の背後には、高業績者への妬みがあり、妬む者は弁論術を学んで他を扇動する。そして業績をあげて世に貢献した者は次々と追放され、やがては民衆裁判で片端から殺される時代がきた。殺されてはたまらんから民衆に少しでも労苦を要求する者はいなくなり、権力欲だけある者は民衆にこびるばかりとなる。 「彼らは、徳性のいわば替え玉にほかならぬ名声と衾(しとね)を共にし、純粋な、誰の眼にも恥ずかからぬことは何ひとつとして行なわず、不純な、ふしだらな振舞いをやたらと仕出かす。その時々に異なった衝動を抱え込み、欲望と情熱に身を任せるのだ。 確か、ソフォクレスの劇に登場する羊飼達が、その羊の群れについて、 「こいつらの主人であるのに、われわれが、奴隷みたいに従(つ)いて行く。物も言わずにいるこいつらに、服従せねばならぬものとは」 と語っているが、これはまさしく、大衆の欲求と熱狂にとり入って政治を行なう人々が、つぶさに経験しているところである。民衆指導者とか統率者とかと呼ばれたいため、奴隷みたいに身を低くして、のこのこ、従いて行く。・・・いやしくも政治に携わりながら、しかも名声を目当てにするがごとき人々は、統率者などという名称を帯びてはいても、実は、群衆の小間使なのである。」(村川堅太郎訳) 見よ、オバマを!とメディアは叫ぶが、なに10年ほど前、クリントン登場の際にも歓呼の声を挙げたのがメディアであった。 メディアが告発すべきは、まず自社のバカ番組ではないか、と思うが言っても詮無い。新聞テレビを観なくなって久しいが、たまに観て思う感想は・・・「告発常習者の顔つきは、みな、似てくる」。著書論文を出すこともなく大学はけしからんと呶鳴るばかりの同僚の顔も同じである。 メディアの報道の全てを禁忌しているわけではない。過日、NHKで砂漠の緑化に取り組む85歳の先達のドキュメンタリーを家族で見た。いい顔をしておられた。ああいう顔になりたい、と思う時だけは視聴料を払っても良いと思った。 |
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| 最終更新日 ( 2009/09/18 Friday 11:53:16 JST ) |
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