| 大学助成は個別教員助成へ |
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大学には、著作を出さないことを誇りに思っている方が多く、います。そういう教員に限って、最近の学生は本を読まないと嘆きます。
本を書かないでいて(・・もちろん、学生が読んでみたいと思えるような書き方で、という意味です・・・本人以外、読者がいそうにもない独善的な本は論外ですから・・)学生は本を読まないとわめき、ゆえに本当の学者は寡作でよろしい、という堂々巡りです。 そして私のように多作であると、レベルが低いからねえ、と非難を受けます。レベルが高い、と自負はしませんが、それでも多くの人の批評を受けて身をただすには、書くべきではないか、と。 「・寡作もとより結構。遅筆も亦結構。しかし、それは世人の方からこそ珍重すべきことで作家自身で吹聴すべきことではあるまいと思ふ。作家としては、殊に感興を重ずる作家は、興一たび到れば立ちどころになる底の意気が欲しいものだ」 佐藤春夫の言葉です。 書こうが書くまいが、給与が変わらないからいけない。 大学は経営危機の時代だと言うが、経営危機知らずの虚名大学を含め、助成金があろうがなかろうがすべて大学一本に入ってくることが多いので、別段、研究 によって大学の名を宝しめれば収入が補なわれるわけではない。大学にカネを出すのは天下国家の義務だ、と放言して自分は遊んでいればよいということをさせ る構造が問題。 ゆえに・・・大学への助成をやめ、教員一人一人に助成をする。つまり本を書いて売れば売れ行きに応じて補助金を出すのです(売れない本に補助金を出してはいけません)。 同様に・・・学生からの授業評価を義務づけ(ノーという大学や教員には補助金ゼロとする)、授業評価届け出制とし(・・偽のデータを出したら、むち打ち 100回・・)、点数に応じてカネをつける。それでは学生が安きに流れるという教員もいようが、そういう方は、孤高を守り、飢え死に寸前でも我慢しながら 後生のために生きればよろしいのです。 多作だとレベルが低くなるだろうか? Isaac Asimovは300冊。 Alexandre Dumas は272冊。 Lewis Carroll は255冊。 Daniel Defoe は250冊。 George Sand は100冊。 私は5冊ぐらいか・・。 日本の学生のレベルが低いと世間は歎くが、なに、学生より教員のレベルが問題。 そしてそれに文句も言わず国民は税金を払い続けているのだから、なにがどうなっても、自業自得。 ということで、私の案はとおりそうもない。私は諦めて、ひたすら外で稼ぎます。 (原稿の依頼、ありませんか?) |
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| 最終更新日 ( 2008/10/06 Monday 13:58:12 JST ) |
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